効エネルギー日記

エネルギーの効率的利用を中心に、自分の考えを述べる。

■令和時代の一つの切り口

平成の時代はインターネット関連の技術が急速に進展した時代だったと思う。昭和時代の終わり頃にそのはしりとも言えるパソコン通信が始まり、急速にインターネット技術に拡大し、膨大なデータを処理することがビジネスとして確立されたのだが、それが社会にとって長期的な社会の発展という見方から良い結果を産んだのか、これから生み出すのだろうか。人には情報の流れが見えなくなっていることが、思いもかけない、そして取り返しのつかない結果を産みつつあるのではないかとも思える。

令和時代は、世界に5Gという速度と帯域の広いデータ通信が普及するだろう。全ての社会活動が情報ネットワークに組み込まれることになるが、これが社会を豊かで福祉も充実したものにするだろうか。データ格差が気づかないうちに拡大し、それが社会格差となってくるかもしれない。杞憂であったほしい。

5Gの世界ではエネルギー消費が急増する可能性があるというレポートを読んだ。杞憂の一つであるかも知れないが、情報の流れが広く接続され、相互に影響し合うことになるから、そのためには必ずエネルギーが必要となる。その一つ一つはセンサーやコネクターを駆動する微少なエネルギー消費である部分が多いが、それを積み重ねると想定以上に膨大なエネルギーが消費される可能性は否定できない。そして、エネルギー供給が間に合わなくなったときに、情報化社会はそれを自ら解決することは出来ないかも知れない。情報をつなぎあわせる拠点数を減らさなければならないが、情報システム自体は自己目的化しているために、その処理ができないだろう。そこで人間の洞察力と技術支配力が発揮できるかどうかが、人類の命運を決めるような気がする。最後は人に戻ってくる。

令和が人を大切にする時代となることを期待したい。