ずっと昔、どこかの山へハイキングに行ったときに持って帰った藤の枝が根を下ろして、藤棚を越えて二階にまで進出してきた。雨樋を足場にして這い上がって家の一番上の軒下まで到達している。いつも来る八百屋さんから、放っておくと屋根瓦が駄目になるよと注意を受けた連れ合いの指示で、二階のベランダから束になって上がっている蔓を切り離し、上の部分を何とか引きずり下ろす。それを全部10センチほどの長さに切ってゴミ袋に入れ、市のゴミ処理場へ持って行った。ついでに雑誌や酒瓶その他のリサイクルできるゴミも積めるだけ車に乗せた。
今週我が家はゴミ当番で、ゴミ収集車が立ち去った後にカラスよけの網を片づけて、もし道路が汚れていると掃除をしなければならない。ところが、燃やせるプラスチック類を捨てる日に、分別規格に外れた大きなスチロール板を袋に入れて出した人がいて、収集車はそれを持って行ってくれなかった。一軒一軒尋ねて返却するのも手間なので持ち帰っていたのを、いずれゴミ処理場へ持っていかなくてはならないというのも藤の始末をする動機付けにもなっていた。
剪定の季節になっているのだろう、結構な量の枝葉が焼却炉のピットに放り込まれている。生木だから水分も多く、焼却にはその湿分を飛ばすためにエネルギーをロスしてしまう。もしこれをバイオマスとして利用することを考えると、メタンガスや、エタノールにして燃料にする方が良いのだろう。しかし、草木をこのような方向で実用的に広く使えるような技術がまだ開発されていない。当面は乾燥させて燃料に使うのが先だろうが、いま各方面で開発されつつあるメタン化、エタノール化技術が完成すれば、水分の多い草木がそのまま使えるはずだなと思いながら、大きなゴミ袋に入れた藤の枝葉をピットにえいやっと放り込んだ。
ガラス瓶の回収場所へ行ったら、瓶のラベルを一つ一つへらではがしている作業員がいた。連れ合いはいつも水で湿して全部はがしているが、それをしないで出す人も多いだろう。この作業の要らない瓶ラベル技術はないのだろうか。常に後追いにならざるを得ないが、ゴミ処理場で働く人たちの苦労を少しでも軽減する技術開発が必要だと改めて思った次第。