効エネルギー日記

エネルギーの効率的利用を中心に、自分の考えを述べる。

一昨日の日記にコメントをいただきました

「MD会とやらーが40年もの長期に及んで切れることなく継続されているとはーー
すばらしいですね、私も70歳を目前にしてー確実にやってくる老後という時期を如何に生きるか!と思案しているところです。・・・・・・・・・」に続いて、何をしたかではなく、何のためにしたかについて語っておられます。難しい問題です。
自分もボランティア活動に関係していますが、人のためにしているということのようですが、やはり自分の満足感を得ることができるからではないかと思います。何かのためにの「何」とは何か。必ずしも全てが良いこととは限らないようにも思います。自分では良いと価値判断したものが、結果として不幸や悪を招くこともあります。最終的に結果がどうあれ自分が後悔しない目的のために何かをするということでしょうか。
老後について考えると不安が出てきます。何か人のために尽くしていれば、天は必ず見てくれているという感覚は、麻痺剤的効果がありますが、そこには何の保証もありません。なるようにしかならない、という諦観も対極にありますが、どのようになるのかということへの回答にはならず、全てを受け入れますということでしかありません。全てを受け入れるのも、周囲の人の助けがなければうまくできないかもしれません。受け入れたくてもそうさせてくれないこともあるでしょう。死ぬことを受け入れているのに死なせてくれない、ということもよくいわれます。
迷路に入ったような話しになってしまいました。ご免なさい。