効エネルギー日記

エネルギーの効率的利用を中心に、自分の考えを述べる。

8月15日

今日は敗戦記念日(自分は終戦記念日とはできるだけ言わないようにしている)。天皇陛下の国民へのラジオ放送が行われた日はこの数日と同じように暑い日だったと記憶している。岡山にある母親の実家に疎開していたのだが、何人かの大人がラジオを取り囲んで座っていた座敷の縁側にいた自分には、白っぽく乾いた庭にニワトリが一羽餌をついばんでいたという記憶しかない。だがその時の異様な雰囲気もそのニワトリと一緒に頭に残ってはいる。親戚に疎開できたので、学校全体が田舎に疎開する学童疎開によって大阪から逃げるということにはならなかったのは、学童疎開にいった友人から聞いた経験からすると幸いだったことは確かだ。
 疎開する前には、灯火管制(ぶら下がった電灯の笠の回りに黒い布をかけて外へ光が漏れないようにする)をしている部屋で、大阪を攻撃してくる米国の爆撃機B29の爆音が頭上を通り過ぎると、詰めていた息をほっとほどいたのを鮮明に覚えている。しばらくすると、ヒューという爆弾の落下音が聞こえ、数秒後に大きな爆発音も届く。途端に停電することもある。自分たちもそれにやられる可能性もあったのだ。いまは日常的にこのような記憶は出てこないが、8月15日にはいつも確認させられている。疎開先の岡山県の片田舎から岡山市中心部が雨あられと降る焼夷弾に襲われるのを山1つ隔てて見ていたのも思い出す。その時には恐怖ではなく、花火みたいで綺麗だなと思ったのだった。そして翌日に市内から逃げてきた人達を見て、幼いながらも綺麗などと思ったことが申し訳なかったことも思い出す。
このような記憶を持つ人の数も少なくなっていく。これから先、戦争そのものを日本人がどのように認識し判断するだろうか。