効エネルギー日記

エネルギーの効率的利用を中心に、自分の考えを述べる。

太安万侶
先月受講した古事記編纂1300年のセミナーで知った、太安万侶墓誌が発掘され、遺骨も近くのお寺に納められたということを知った。今日の奈良新聞が報ずるところでは、太安万侶を祭る田原本町多の多神社が、その遺骨の一部を分骨として譲り受け、神社の近くに「墓」を作ることになり、長く安万侶の墓と伝承されてきた円墳を整備して納骨する。彼の命日の7月6日に納骨式があるそうだ。この神社の宮司さんは多 忠記さんで、大安麻呂の直系だという。大昔の宮人について、実在かどうかも確かでないことが多いが、太安万侶は農家が畑の隅にあるものに気づいてくれたからこの世に回復してきたものだ。墓があってもそのひとが在世中の功績を書いた墓誌が一緒に出てくることも少ないから、珍しい発見だったと言える。これが発見される前には、前に述べた円墳が墓だと伝承されていたが、実際の遺骨が埋葬された場所が発見されてからは寂れていたという。この前の話で、墓誌が裏向けに置かれていたという事実だ。その時の解説では、黄泉の国に向かって死者を紹介するものだったという。これも発掘者が記憶していたから分かったことだが、1300年前というとまだ判明していないことが多いのだろう。再度奈良の歴史をもっと理解したいと思うが、あまりに膨大で呆然としてしまうのが現実だ。古事記を原文で読もうと思いながらまだ実現もしていないのだから。