これだけでは何のことか分からないだろう。奈良新聞が報じたもので、奈良市の奈良国立博物館は、年2回だった収蔵品の「仏像仏画供養」を平成20年度から4回に増やしているが、その法要が開館時間中に行われているそうだ。他の国立博物館(東京、京都、九州)が宗教行事と距離を置く中で、開館時間に法要を営むのは奈良国立博物館だけだという。この年4回の法要は、春夏冬が東大寺、秋は興福寺が行っている。法要に参列し、焼香する来館者も増えているとこの記事は紹介している。
現在の館長は湯山賢一氏。同館長の就任まで同館の法要も休館日に営まれていた。全ての宗教活動を禁じる憲法の規定に縛られるからだ。ところが、独立行政法人に移行したことから館独自の裁量が可能になったという。開館中の法要を提案したのは東大寺の森本公誠長老が別当であった頃。「単なる物か、心のこもった礼拝の対象と見るかの違い。仏像の気持ちになれば法要もないのは不幸なこと。仏師は人を救う仏として造っており、仏教文化の一環と理解すべき」という考え方からだそうだ。この提案がきっかけで、平成18年3月から開館中の法要に切り替えられている。奈良国立博物館の開館は明治28年。興福寺旧境内にあり、明治の神仏分離で行き場をなくした仏像の収蔵先でもあったということが、他の国立博物館との違いだそうだ。東京国立博物館で奈良南都寺院の仏像の特別展が行われたときに、各寺の僧侶が法要のために出張したが、開館中の法要は叶えられなかった。
これまで展覧会などで仏像を眺めることは何度もあった。そして、その都度、美術品としての見方をするのに何となく申し訳ない感じがしていた。この記事を読んで、ここにその気持ちが生まれる源があると教えられた。仏像はミロのヴィーナスとは基本的に造られた動機が異なるのだ。このような人間の心を、日本人一般が自然に対して神性を感じる感覚に重ねると、自然破壊に対する怖れを世界に広げることができるのは、日本人をはじめとして、キリスト教やイスラム教ではない宗教を信じる人々ではないかと思うようになった。