効エネルギー日記

エネルギーの効率的利用を中心に、自分の考えを述べる。

地球にやさしい駅

JR西日本が新聞一面全体を使って新しい大阪駅のイメージ広告をしている。その真ん中に書いてあるのが「地球にやさしい駅」。コピーライターの書いたものだろうが、これは人間の傲慢さを示す以外の何物でもない。地球はその誕生以来、いろいろな変化を示してきた。地表面の温度もそうだが、大気の組成も大きく変動している。現在も大陸が移動しているし、明日にでもどこかで火山の大噴火があるかもしれないというように、その本来的な物理特性に従った変化をしているが、それを地球が優しいとか苦しいとか考えているわけではない。地球温暖化対応を示すために使っているのは分かるが、地球は人間に優しくしてもらう必要などどこにもないはずだ。ここには地球なり自然を人間が支配する力があると考える基本的に不遜な考えが潜んでいる。
大阪駅太陽電池を設置し、屋上緑化をし、地域冷暖房をするなどが、地球にやさしい具体的なプロジェクトである。これは地球に対してではなく、現在の生物生存環境で生かされている人類を守る為であって、地球を守るものではない。地球にとって人間が衰退しようが繁栄しようが、何の関係もないことだ。宇宙の原理で地球が爆発してなくなる可能性があったとしても、それは自然の摂理である。
人間はいままで、何をしても母なる地球は全てを飲み込んで、快適で豊かな生活ができるようにしてくれると信じていた。しかし、自らが地球の上に生きる生物の一つに過ぎなくて、相互に支えあう連結反応の中にあるということにまったく気づいていなかったのだ。地球温暖化は人間活動が原因だとほぼ断定されるようになって、少し目覚めたに過ぎない。その目覚めもまだ不十分で、人類間の競争の結果として、結局地球温暖化を食い止めることができなくなり、新しい気候環境の中で繁栄する生物に支配されるということになる可能性もある。ただし、これのタイムスパンは地球の時間で測らなくてはならないものではあるが。
JR西日本は、少なくとも、人に優しい、あるいは、環境にやさしい、と主張すべきだったと思う。地球環境に優しいは適切ではない。地球環境は変動して当たり前であって、優しい厳しいを判断する基準はないはずだ。人間活動が地球環境を変化させても、別に地球が困っているわけではなく、また、人間以外の生物が人間のせいでと認知しているわけではない。生物相が変化したことが、人間社会に影響を与えるようになったということが重要なのだ。本来ならば、地球に住む生物に優しい、と表現すべきではないかと思う。人に優しいでは少なからず独善的で、その行動が他の動植物を圧迫する結果となることを認識していないからだ。たとえば、暖冷房も人に優しくするために開発されたものだ。そのような快適さや豊かさを求めた人間が、ある限界を超えたときに、資源制約や環境制約があるということに気づかされたに過ぎない。人間が被害者ではなく、そのとばっちりを受けた人間以外の生物の生活環境の変化が、また人間に負の影響を与えるようになっているということに気づくようになったに過ぎない。その気づきが遅すぎたのかどうかは、しばらく様子をみなければ分からないだろう。Too Lateかもしれない。