効エネルギー日記

エネルギーの効率的利用を中心に、自分の考えを述べる。

成人の日

ユニセフ活動を奈良でしている連れ合いがご招待を受けて、日本ユニセフ協会の親善大使であるアグネス・チャンさんのコンサートを聴きに奈良県文化会館へ出かけるので、運転手として送ってやった。その途上大きな会場のある競技場の近くに来たら、雲霞のごとくと言ったら失礼だが、着飾った若者の群れが歩道を歩いているのに出くわした。ちょうど成人式が終わって出てきたのだろう。女性はほとんどが華やかな着物、男性はちらほら羽織袴などもいたが、ほとんどが黒づくめのスーツ。もう少し色の変化があってもよさそうにと思ったくらい、真っ黒だった。みなそれぞれに楽しそうな対話を交わしている様子。ほのぼのとした幸せ感が漂っていた。
頭をよぎったのが、この人達が自分の年齢になるころの50年後に、日本、そして、それを取り囲む世界の姿はどうなっているだろうかということだった。
政治的、経済的に米国の地位は下がり、中国とインドが大きく世界を引っ張っているかも知れない。問題はそれに伍してこの若者達が国を隆盛に導いていてくれるだろうかということだ。そしてそれよりも大きな問題は、国の勢力協商は別にして、これから50年後というと、いま盛んに論じられるようになった地球環境の変化がどうなっているかだろう。人類が死滅している可能性はまずゼロだろうが、化石燃料をほとんど自国内に持たず、食糧の自給率も低い日本が、どのようにして生活のレベルを保持しているだろうか。そのレベルの判定基準がその頃には大きく変わっているかも知れないが、ちょうど60年前の敗戦後のように、空き地は全て野菜畑やバイオ植物栽培地に変わっているかも知れない。そしてそこに生えている植物類はいまの熱帯産に近いものである可能性もある。北海道が多分水田の最適地になっているだろう。
それよりもっと大きな気候変動の影響を世界が受けている中で、政治、経済、環境対応など全てを総合した日本の地位を高く保つのはこの若者達なのだ。いままで日本は経済的地位だけしか世界に訴えるものはなかったが、環境でも大きな発言力を持つ国として世界を引っ張っていてほしい。政治力については残念ながら50年後もいまと同じか水準は相対的に下がっているだろうというのが自分の感じである。