効エネルギー日記

エネルギーの効率的利用を中心に、自分の考えを述べる。

効エネルギー

今朝早く連れ合いを車で電車の駅まで乗っけていった。ユニセフについて吉野の方の小学校で話を頼まれて行くのだが、最近足を痛めているので荷物を持ってバスでというのが無理であることからだ。その荷物の一番大きいのが、ネパールの貧しい村に住む子どもたちが水を毎日運んでいる金属で出来たかめだ。これに水を入れて小学校の児童に運ばせると、これを毎日続けることがどれほど大変なことかが体験できる。一杯入れると簡単には持ち上げられない。その他には、下痢にかかって脱水症状になった子どもたちに飲ませる水を作る素材も持っていく。少量の塩と砂糖だけなのだが、これを水に溶いて教室で何人かに飲んで貰う。吐き出す子もいれば、お代わりをする子もいるというから面白い。これで脱水から逃れて子供の命が助かる。しかし、連れ合いは杖をつきながら水瓶とパンフレットなどを入れたバッグを運ぶのだから、これも大変だ。

ところで、この日記の表題が効エネルギーの日記となっている。これは省エネルギーというよりも効エネルギーという方が適切だという日頃の主張を題にしたもの。
ロッキーマウンテン研究所(http://www.rmi.org/)の主宰者エイモリー・ロビンスから教えられたことにヒントを得て考えた言葉であるが、無理をしないで自然にエネルギー消費が落ちるようなシステムを作ることが重要だということだ。省エネは何かエネルギーを使わないように強制されている、あるいは無理に使わないようにするというニュアンスがあると感じる。夏に快適さを犠牲にしながら冷房温度を上げるのは、強制しないと長続きはしない。クールビズで同じ快適さが得られればいいが、本当にそうだろうか。それも悪くはないが、基本に返ってビルの冷房装置が効率的に動いているかをチェックすると、意外に効率の低いところで作動していることが多い。また、温度が上がった部屋で仕事の効率が落ちれば残業せざるを得ず、それだけ余計にエネルギーを使うことになって、何をしているか分からなくなる。緊急時は“省エネ”が通用するが、長続きさせるには“効エネ”をシステムとして日常生活に組み込むことが鍵だろう。

効エネルギーの好例は、待機電力の引き下げである。テレビなどがリモートコントロールでスイッチを入れることができるのは、そのリモートからの信号を受ける回路はいつも作動している(待機)ということだ。しかし、この機能は便利だし、これがないと、たとえば寝たきりになった人はテレビを自分で点けられない。この機能は無駄ではないのだ。このコントロール用に使用される回路の消費電力を下げてやれば、便利さを犠牲にしないでエネルギー消費を下げることができる。電機メーカーも大変な努力を払った結果、このいつも動いている回路の消費電力はドラマチックに下がり、この効率化の効果は極めて大きかった。ここで重要なのは、無駄な機能は別として、必要な機能や効用を落とすことはしなかったということだ。常時電気を使っているものは身の回りに一杯ある。ファクス、多機能電話、モーデム、ルーターなど。これらは、いつでも作動状態でないと効用を発揮できない。とすれはこの消費電力を引き下げなければ、クールビズ、ウオームビズでは追いつかないほどエネルギー消費は増えていくだろう。