効エネルギー日記

エネルギーの効率的利用を中心に、自分の考えを述べる。

■終戦(敗戦)記念日

今日は終戦後75年の日。終戦の時自分は疎開先の母の実家、岡山の児島郡の村にいたが、当時村の小学校の2年生。家中の人がラジオの前に集まって放送(玉音)を聞いていた。その時に自分は庭に居る鶏を追い回していて、天皇陛下のお言葉は聞いていなかった。というより、雑音が酷く、ほとんど聞こえなかった。しかし、大人が皆涙を流しているのを見て、何となく、戦争は終わったのだなと思ったことしか記憶にはない。その時父は大阪に一人でいたのだが、父から召集令状が来たという連絡が電報であり、母だけ大阪へ戻ろうとしたのを察知し、大阪へ帰ると必ず母は敵の襲撃で死んでしまうと思い、家から出られないようしがみついて、時間に遅れて汽車に乗れなくしてしまったのはよく覚えている。その頃列車が飛行機の攻撃を受けて沢山の人が死んだことを聞いていたからだ。

召集を受けた父は、身体検査で昔結核にかかっていた跡が胸にあって、レントゲンの映像から兵役に耐えることはできないと判定され、召集解除となって家に帰された。これがなければ、父はどこかで戦死していただろう。一方、妻が疎開先から召集入営前に帰ってくれなかったことで、父は妻である母に失望感をもったようだ。結局召集されなかったので良かったが、疎開先から帰って家族が一緒になってからも、父母の間はしばらく元に戻らなかったようだ。

太平洋戦争が始まったのは、英米が、日本が必要とする石油の入手をできないようにしたことから起こったことで、真珠湾攻撃も米国に誘導されてしたことであることが、いまでは分かっている。二度と戦争はしませんという日本の宣言は貴重なものだが、その後戦争は世界のあちこちで頻発し、日本はそれに直接関与しないようにするのによく努力してきたのだと思う。しかし、世界情勢は、日本がその姿勢を維持できるかを問う状況になっている。コロナに追われる現状から早く脱して、日本が世界の紛争に仲介役としての役割を買って出て、戦争が少なくなるようになってほしいものだ。戦争をなくすることはできないだろうが。

 

 

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